あじさいの咲く頃

水の中を意思があるのかないのか、あてどなく揺らめいているくらげを見ていると心が落ち着く。よく考えてみると何の生き物かもよく分からないし、死んでもポリプになってまた生まれるというのは薄気味悪い感じもするけど、ゆらゆらと流れて光を反射する様子に惹きつけられる。こんな風にゆらりゆらりと自然に流れて、色に染まらずできるだけ透明で生きていたいと思ったりする。でも毒を持っていたり、ピカッと光ってみたり、深いところまで潜ってみたり、揺れながら何かを思案しているのかもしれない。うたた寝していたら浜辺に打ち上げられてしまうかもしれないけれど。

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今期のNHKドラマ「やけに弁の立つ弁護士が学校で吠える」が面白い。問題を抱える学校に弁護士が派遣され、「それ、おかしくないですか?」と神木君が一刀両断、とはいかないけれど問題解決に向けて奔走する。神木君の長台詞が痛快でこういうクセのあるキャラは本当に独壇場だ。学校に山積する問題の根は深く、なかなかあっさり解決とはいかないけれど考えるきっかけを与えてくれる。演出が重くなりすぎずキャラもいいし、音楽も軽快でエンターテイメントとして楽しめる。神木君演じる新米弁護士の主張はまだ青くて、正しすぎるがゆえに解決へと向かわないこともある。それでも「おかしいことをおかしいままにしていたらもっとおかしくなるんですよ!」と何度も吠えるように、筋を通すことの大事さに(こんな時代だからこそ)改めて気付かされる。今の世の中、筋が通らないことが当たり前になってきている気がする。何かおかしいと思っていてもその場で流れて進んでいってしまう。悪質タックル問題も、モリカケ疑惑も、どう考えてもおかしな主張がまかり通っている。そんなことに時間を割くよりもっと話し合うべきことがあるという声もあるけれど、誰も責任をとらずに前に進んでいいということにはならない。責任の所在をあやふやにして終いにしてしまっても禍根は残るし、こんな風に無理を通していいんだ、許されるんだという空気が蔓延してしまえば(すでにしつつある、と思う)もう誰も何にも責任を持てない国になってしまう。そうなってしまうことが怖い。

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夕方散歩していると道端にあじさいのつぼみを見つけた。もうすぐ梅雨が始まるのか、と思うと同時にもう五月が終わろうとしていることに気付いて驚いた。最近1週間をとても早く感じるけれど、時間は言われなくてもきっちりしっかり進んでいる。律儀すぎる。もうちょっと休憩してもいい。でも時間はちゃんと進んでいる、ということにある種の安心感も感じる。過去に戻るループものの話は今も昔も尽きないけれど、そんなにしょっちゅう時間を遡っていたら気が狂ってしまうと思う。目まぐるしく変わっていって、過去も信じられないし、気温も乱高下して本当にいろいろとおかしくなってしまったように感じるけれど、何とか正気を保てているのはちゃんと梅雨の前にあじさいが咲いてくれるからかもしれない。
「想像、してみることはあるけど、(…中略…)これが今の自分だから。」
先クールのドラマ「anone」での主人公の言葉。彼女は犯罪を犯してでも助けたいと思った人にもう二度と会えない運命になってしまった。もし昔の出来事が変わってずっと一緒にいられたら、と彼女は想像する。でも今いるのはそうじゃない自分だから、と過去を肯定も否定もせず、安直に受け入れもせず、自分のこととして何とも言えない気持ちをしっかり持って生きる。大人になるということはこういうことかもしれない。こういうすぐには消化できない気持ちを持ち続けることは今を大事にすることでもあると思う。あったことをなかったことにする人はいったいどの時間を生きているのか、どうやってここまで生きてきたのか、もっと時間を大事にしてほしい。
あじさいは涼やかな見た目と裏腹に、地下にびっしり根を張るらしい。異常現象に負けないためにはこれくらいしっかり地に足つけて、根を張るくらいにならないといけないのかも、と思う。それにしても暑い。

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