人はなぜ鴨川に集まるか

 毎日、祇園四条駅と河原町駅の間を繋ぐ四条大橋を渡る。ほんの数分の時間だけれど、京都を南北に流れる鴨川を見て季節を感じる。6月に入ると河原沿いの店がテラスのような開放的な納涼床を設け、毎週末宴会が開かれている様子を橋の上から見かける。夜風に吹かれながらビール片手に眼下の鴨川を眺めるのはいかにも涼しげだが、床から零れ落ちそうなくらいに人で溢れていて見るからに暑そうだ。

 納涼床は「京都の夏の風物詩」ともいえるが、夏以外も河原は人で賑わっている。鴨川等間隔の法則、なんて言われだしたのはいつの頃からなのか、夏のうだる暑さの日も冬の凍える寒さの日もカップルたちは整然と川沿いに並んでいる。「ほんとに等間隔なんだねー」という観光客の声を耳にすることがあるが、考えてみれば等間隔に並ぶのは当たり前のことだ。等間隔が生成される過程を最初から順を追うと、まず一組のカップルが川辺に腰を下ろす。二組目のカップルは最初のカップルと近くないところに座る。三組目は両組からさらに離れたところか、そこまで行くのがめんどくさければ両方から最も遠いところ、即ち真ん中辺りに行く。これが繰り返されるときれいにスペースを埋めるように並ぶことになる。しかし多いときは人の列が一直線のようになっていて、鴨川の川辺に座れたら何でもいいというような感じさえする。
 
 ここ数年は京都、鴨川の人気が高まって、四条大橋の上は鴨川をバックに写真を撮る観光客の定番スポットになっている。確かに、遠くに山が見え、町屋が並び河原が広がる鴨川の景色は穏やかで風情を感じる。ただし、毎日橋を渡る者はそんな観光客を尻目に無心で駅に向かう。観光客に限らず、近くの大学生もたくさんいて、四条から上流へ行ったところにある三角州(デルタ)ではよくばか騒ぎをしている。時間を持て余した大学生の憩いの場でもあり、ぼーっとするのも気持ちいい。

 鴨川はなぜ人を惹きつけるのだろう。何年か前のある日、暇を持て余して、授業をサボった友達と何の当てもなく鴨川の川辺にいた。その日は大雨が降ったしばらく後で土砂が洗い流されており、びっくりするくらい川の水が透明だった。清流みたいでなんだか楽しくて、何時間もだらだら過ごしていた。今考えても暇の極致だが、そういう時間があってもいいと思う。何にも染まっておらず透明で、何者でもないが何者にもなれないのではないか、なんて漠然とした不安のような思いを抱くモラトリアムにとっての居場所にもなっている。鴨川と言えば、漫画「3月のライオン」屈指の名シーンの場でもある。川辺にしょんぼり独りでいるひなたが零に見つけられて優しさに触れる場。華金のサラリーマンや充実したカップル、モラトリアムな大学生、心に傷を負った人のそばで鴨川は変わらず優しく流れる。川辺にたたずむ人たちは四条大橋からの景色の大事な要素になっている。

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