時は金なり

「時は金なり」、「光陰矢の如し」― 格言にあるように時間は本当に大事なものだが、あっという間に過ぎ去って上手く使うのは本当に難しい。でも「忙しい人ほど暇がある」という言葉もあるようになんやかんやしているようで時間を無駄にしてしまっている、ということも多々ある。何とも掴みどころのない「時間」だが、他の人と比較することでその一つの姿を捉えることができる。

経済学に「機会費用」という考え方がある。先日経済についての本をたまたま読んでいて初めて知った言葉である。(本の題名は忘れてしまったけれど…!) これはある行為をしている際、他のことをしていれば得られた最大の利益のことをいう。例えば今こうしてブログを書いているが、もしバイトをいれていてその時間働いていれば、その分得られた給料が機会費用である。実際に行われていない行為に対する利益を考えるのがポイントであり、そこに普段見落としがちな罠が潜んでいる。自分一人について考えるとただの最大利益を得るための有効な時間の使い方となるが、複数人が仕事をする状況を考えると機会費用はまた違った意味を持つ。ここで、事務処理能力も営業能力も人より優れたスーパーハイスペックな営業マンAさんを仮定する。Aさんは自分の仕事のうち煩雑な事務作業が多く、事務を行う職員を雇おうかと考えた。職員の時給を1000円、勤務時間を一日8時間とすると支払う日給は8000円となる。しかしこの仕事をAさんは一日2時間で行えるため、給料を払うくらいなら雇わず自分でやってしまうことにした。このときAさんは職員の給料分のお金を節約することになったのだろうか。ここで機会費用の考え方を導入し、Aさんが事務作業を行った2時間でできた他のことでどれだけの利益を上げられたかを考慮する。外回りにより長く行けたり、そのための下調べを十分に行うことができ、一週間で50万の取引を成功させたとすると、週5日勤務、1日10時間労働として1時間当たり1万円の利益を上げたことになる。このとき機会費用は1万円×2-1000円×2=8000円で、自分で事務作業を行うことでそれだけの損失が生じていると考えることができる。これは極端な例だが、割引セールのために長時間行列に並ぶなど日常の多くの面で機会費用の考え方は適用できる。理屈を聞くと当たり前にも思えるが、現実では意外と考えられていないと思う。複数人の間で機会費用が生まれるのは人によって能力が異なるためであり、現在の社会の分業体制につながっている。上で挙げた例は読んだ本に書いてあったことであり、行為をすることで損にもなり得るというのは目から鱗だった。他にも比較優位や外部経済など聞いたことのない言葉が多く説明されていて、どれもなるほどなと思えるもので経済学のおもしろさを知った。

話を戻すと、時間は平等に与えられているが人それぞれ能力や適性が異なり、全体での利益を最大にするために上手く分業し時間を使うことが大切になる。まさに時は金なり。時間はお金のように大事という意味にとどまらず、時間はそのままお金なのである。費やす、英語ではspendだが、どちらも時間・お金の両方に使われる。言葉はやはり長い間を経て概念を結びつける作用をする。

機会費用の観点から我が身を振り返ると、もうずっと損失を垂れ流し続けている。そもそも就労せず大学に行くというのが大きな損失になっているとも考えられる。ではこれだけ高い費用を払って大学に行く意味は何なのか…。そんなケチ臭いことを言わずに大学生活を楽しめばいいという意見はそれはそれでいいと思うけれど、やはり何かしらの自分の優位性を身につけるためだと思う。とは言っても人より優れていることなんてなかなか無いので、最近はいろいろ勉強しようかなあと思っている。自分への投資と考えればそのリターンはとても大きなものになるだろうし、直接お金にならなくても、自分の見識を深めることはそれだけの高い対価を払うだけの価値がある。こうやってブログを書くのも自分への投資…?それは夢のまた夢。

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