就活ってやつは

最近、夏のインターンのためのESや面接をちょこちょこ受けていて、これが本当にめんどくさい。まだ就活に慣れていないこともあるが、たかが数百字の質問に答えるためにいろいろ考えていると結構時間がかかる。「学生時代にがんばったことは?」、「あなたの強みと弱みは?」…そんなこと聞いて何になるっていうんだ。志望動機も「何となく」じゃ何でだめなのか…。明確な志望理由を持って入社したとしても、実際働いてみたら思っていたのと違うということも十分あるだろうし、特別希望したわけではなくても、やってみたことがおもしろくなって、後々大きな成果をあげることもあるだろう。何となくでも、良さそうかなと思うフィーリングのほうが大事だと思う。だいたい、数百字程度の説明でその人となりがわかるわけがない。まあその後の選考の面接で質問のとっかかりにするためのものなんだろうけれど、その面接にもテクニックというかやり方が存在する。いかに自分を良く見せるか、もっといえばうそでも上手く取り繕うか、ということに終始してしまう。予期せぬ質問が来ることもあるだろうが、その場で上手く対応する能力が問われるだけで、そんな能力よりももっと大事なことがあるように思う。

結局、自分を上手く表現してアウトプットする能力や、人当たりの良さ、コミュニケーション能力、うそでもいいから取り繕ってそのための準備をしっかりする根性とかが問われているのだと思う。それはそれで、仕事をして成果をアピールするためには必要だし、一緒に仕事をしていく上でコミュニケーション能力は大事な能力ではある。でも、日本の就活、その方面にばかり傾きすぎていないか…という気がする。

Googleかどこかの欧米の企業では、いわゆるコミュニケーション能力が高い人や雰囲気の良い人を採るのではなく、ちょっと変わった人、分かりにくい人でも、人と違う才能が感じられたら採用する、という話を聞いたことがある。広義のオタクとでもいうのだろうか、そういう人はとっつきづらくても何かに突出したものを確かに持っていたりする。さらに言うと、自閉症の人は、人とコミュニケーションを取ったり空気を読むことは苦手だが、自分でものを創造する能力は驚くほど豊かであることが多い。そういった人々をはじかず、良いところを発揮できるような仕組みや環境、周りの手助けがあれば、会社自体も今までの枠を超えて大きく成長するだろう。

逆に、学歴等を大変重視し、同じような境遇、環境で育ってきた人を採用する会社はそれだけで危ういのではないかと思う。同調意識が高まれば、それ以外の人を排除する傾向が意識・無意識的に強くなってしまう。それは会社だけに限らない。

僕は、中学校こそいろんな人がいたが、高校からは成績の良い似た境遇の人たちと関わることが多くて、会う人の偏りが大きいと感じる。そういった自分と近いところがある人と会うのは楽しいけれど。何気なく「月曜から夜更かし」とかを見ていても、いろんな人がいるんだなあと気付かされる。自分では意識していなくても、様々なバイアスがかかってしまっている。

いろいろと御託を並べたが、正直ESがめんどくさすぎて(言うほど書いてないけど)憂さ晴らしをしているのが半分。。まあ実際人を見抜くのは難しいし、広く行われている採用のやり方だからそれなりに意味はあるのかもしれない。人事の考えていることなんて分からないし…。それでも、何だかなあと思ってしまう。

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