半分、甘い。

金曜の夜は、なんとなくだらだらすることが多い。ちょうど風呂から出たくらいの時間に探偵ナイトスクープをやっていて、特に見ようと思っているわけではないが、点いているから何となく見てしまう。この時間帯のビーバップハイヒールとかのテレ朝の番組は、テレビでやっていたらついつい見てしまうランキングがあったら、上位を占めていると思う。くだらないけれど、単純におもしろいし、ちょっとためになったり、ハッとさせられることもある。この気楽さがいい。

昨日のナイトスクープの最後のネタはなかなか面白かった。ある妻からの依頼で、どんな食事を夫に出しても必ずおいしいと言うので、妻に対して忖度しているのではないか調べてほしい、というものだった。妻はまずい料理はまずいと言ってほしいと思っていて、夫の真意を確かめるために、わざとまずい料理を作って反応を見てみた。夫は見るからに優しそうで、塩の代わりに砂糖をいれた料理も即答でおいしいと言っていて、これは傍目にも忖度だなと思わせるものだった。その妻と夫のある種の攻防が滑稽で、最後に夫がようやくまずいと言ったときには、不思議な安堵感まであった。まあ、その忖度も愛情の裏返し? どうぞお幸せに!!って感じだが。。まずいと言ってほしいという妻の思いも、まずいとは言いにくい夫の思いも理解できる。ささいなことのようで、意外と人に機微に触れている深い話なのかもしれない。

昨年の流行語大賞の「忖度」。これも優しさの表れなのか…。そもそも優しさって何なんだろう。辞書には「他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。」と書かれている。なるほど。人を思いやる心を持ちなさい、日本人なら小さい頃から言われ続けて耳タコのフレーズだが、それは口で言うほど簡単なことではないように思う。思いやり予算ってのもある。誰に対して思いやるのか、それは本当に相手を思いやることになっているのか、よく考えてみると疑問符がついてしまうことも世の中にはいっぱいある。人を思いやる真の優しさ、それは厳しさかもしれないし、強さ、真面目さ、ひたむきさ、笑い飛ばす軽さも時には含まれるだろう。優しさにはいろんな要素から成り立っているけれど、それらを一言で言ってしまうには抽象的過ぎて、単に優しい人と言われてもうさん臭く感じてしまう。

ともあれ、塩の代わりに砂糖の入ったペペロンチーノを、甘みが広がっておいしいなんて言う人は、言うことが信じられないか舌が信じられないかのどっちかだ!

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