いつかの風

ここのところ、通学に使う電車が止まることが本当に多い。先週の初めには架線のパンタグラフ?が折れたらしく、4時間近く動かなかった。長時間ずっと待つのもしんどいし、かといってすぐ家に帰るのもなんだかなあと思い、駅の近くのツタヤに立ち寄った。ツタヤは本の種類は充実していないけれど、レンタルコミックコーナーはだいたいの漫画が揃っていて、しかも1冊100円だからちょくちょく利用する。この日も何気なく覗いたら、以前に友達がおもしろいと言っていた「からかい上手の高木さん」が目に入った。試しに読んでみると、これがけっこうおもしろい。研究室に行かずに家で漫画読むのもいいな、と思い、そのまま借りて家に帰ることにした。

「からかい上手の高木さん」はアニメにもなっているし、たぶんそれなりに有名だから言うまでもないかもしれないが、女子中学生の「高木さん」が同級生の男子の「西片」をただひたすらからかうだけの漫画だ。ごく普通の男子中学生の西片が、その何枚も上手を行く高木さんに、毎度恋心をちらつかされながらからかわれるのは純粋におもしろい。「照れたら負けの全力青春バトル!」というキャッチコピーの通りで、毎回西片が恥ずかしがらされて終わる。このテーマだけで毎話からかいのバリエーションがいろいろあって、飽きさせないようになかなかよくできている。しかし一番秀逸なのは、やっぱり西片と高木さんのキャラクターとからかい続けるという設定だと思う。

あっけらかんとした女子と思春期で恥ずかしがる男子の構図は、確かに中学生あるあるだなと思うが、それに目をつけて特化したのがすごい。漫画に限らず、おもしろい話はテーマの時点でまず間違いなくおもしろい。逆にテーマが凡庸だと、どんなにがんばってもなかなかおもしろくはならない。アカデミックな研究にしても、テーマで研究の価値やその後の進み具合が半分以上決まるといっても過言ではない。何事も、テーマや最初の目の付け所が大事。でも、それが一番難しい。

「青春バトル」とあるように、出てくる事象は青春ものだが、あっさり描かれているので甘ったるくないのがいい。それもいわゆるキラキラした青春じゃなくて、ちょっとした遊びに負けたら自販機のジュースをおごる、みたいな日常の何気ない1コマだ。青春は、何でもない日常の中にあったんやな、と今は思う。

青春は、「風」みたいなものだ。つかみどころがなくて、実体がない。「風」というものがあるのではなく、ただ空気が移動しているだけ。それを誰かが風と名付けて、みんながそういうものとして認識している。そして、気がついたら通り過ぎていて、何だったんだろうと思う。ただ、一瞬の涼しさをみんな覚えているから、もう一度風に吹かれたいと思うんだろうな。さて、今は……無風? 凪のように穏やかな生活、とはいかないけれど。

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