紙切れの世界

先日、人生で初めて、読書会というものに行ってみた。読書会というのは、何人かで集まって自分の好きな本について紹介し合ったり、事前に本を指定して読んできて、その感想を言い合う会だ。最近そういうイベントが活発で、メディアでも取り上げられていたこともあり、前々から興味は持っていた。ただいわゆる社会人サークルのようなものに参加したことはなくおっくうだった。しかしせっかく夏休みだし、何か今までやったことないことでもやってみるかと思い、行ってみることにした。(少し勇気がいった。)

今回参加したのは「彩ふ読書会」という会で、午前中に自分の好きな本の紹介、午後は「星の王子さま」について感想を語り合う形式。年齢制限はないので、自分より年配の人が多いのかなと思っていたが、大学生も何人か参加していた。社会人の方もフランクに接してくださって、固さはあっても変に緊張することはなく、午前の部も午後の部も楽しめた。

午前の「推し本紹介」は、いろんなジャンルの本が挙がっていて、自分ではなかなか手に取らないだろうな、と思うようなものもあって、読んでみたい本がたくさんあった。まず、皆さん本の紹介が上手い。自分で紹介してみて、自分が好きな本の面白さを説明するのって結構難しいんだなと感じた。んー、もうとにかく読んで!としか言えない。説明につまっても全然大丈夫な雰囲気はある。全く本を読まなかった自分が読書を始めるきっかけになった本、など自分の体験に引き付けて話す人もいて面白かった。

午後の課題本について話し合う時間は、様々な意見をもとにみんなで話し合うのは難しいな、と思いつつも、盛り上がるポイントもあり楽しめた。他の方の話で自分が考えもしなかったような見方があったりして、なるほどなあと思うばかりだった。

とまあいろいろ書き連ねたが、様々な人と関わることができて純粋に面白かった。本好きな人と一口にいっても、いろんなタイプの人がいて、それぞれ経歴が違うし、考え方や見方、面白いと思うところや納得できないところも全然違う。でも、それだけ違うのに、思わぬところで共鳴したり、違いを超えて新たな見解に辿り着くこともある。なるほど、これが読書会の醍醐味か、と妙に納得した。

本が好き、というのはどういうことなんだろう。野球が好き、ラーメンが好き、というようなこととはちょっと意味合いが違うように思う。何好きがいいとかそういうことではなくて、好きが意味する範囲が違う。単純にエンターテイメントとして楽しめる、知的好奇心が満たされる、意味はよく分からないけれどなぜか惹きつけられる、自分を変えてくれる、人生の指針や一つの答えを教えてくれる…。本を読む理由は、本を読む人の数だけある。本の感じ方も人それぞれ違う。読書はそもそもそういう性質のものだと思う。本について語ることは自分について語ることと等しい。だからこそ語れることもあれば言葉にしにくいこともある。

本にはいろんな魅力がある、と同時にただの紙切れに過ぎないとも思う。その紙切れに意味を与えるのは自分だ。そこに、人の世で、本が書かれ、読まれ続けてきた理由があると思う。翻って、コンピュータは自分というものがないから意味を感じない。AIはどれだけ賢くなっても、読書を楽しまないだろうな。

さて、これだけ読書について語っておきながら、僕はさほど読書家でもないし、本の虫でもない。面白いと思う本もあればつまらないと思う本もある。気が合う人がいるのと苦手な人がいるのと同じ。でも時々、これはと思う本を見つける。本当に人と同じやな。笑。

僕が本を読むのは、本特有の、しんとして自分の一つ深いところに下がっていくような、秋から冬にかけて空気が澄み渡ってくるような、そういう感覚が好きだから。それは、個人的には、映像作品や漫画にはない魅力の一つだと思う。紙切れだからこそ入っていけるシンプルな世界に、時折ひたってみたくなる。

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