センス

昔から服を買うことが苦手だった。まず買い物自体疲れるからあまり好きではなかったし、優柔不断でいつも迷ってしまう。そしていろいろ考えているうちにどれがいいかよく分からなくなって、もういいや、と半ば投げやりに決めることになる。結局、いい買い物をしたなーって思えたことはあまりない。かといって、親に買ってきてもらっても、何か微妙
…(仕方ないから着るけど)となることも多かった。

何で自分は買い物、とりわけ服を買うということが苦手なんだろう。決断力、判断力、センスがない…でも本質的には、そう、単に自意識過剰だったから、と今は思う。服を買うということは、当然自分が良く見えるものを選んで買うということだ。それ自体は何もおかしくはないけど、昔の自分にとっては何とも恥ずかしいような、居心地の悪さを感じていた。そうしていろいろ悩んでいると、すぐに店員さんが寄ってくる。(ほっといてくれ…!) 

しかし、最近は服を買いに行っても、前ほど居心地の悪さを感じなくなったし、比較的自分で満足のいく買い物ができるようになった。それは慣れて買い物の経験値がたまったから、というのはもちろんある。ただそれ以上に、服を買うときの基準が、「自分を良く見せるもの」を選ぶというよりも「自分に合うもの」を選ぶというように、知らず知らずのうちに変わってきたからのように感じる。着てみてちょうどいい、しっくりくる、そういう感覚で選ぶと、あまり迷わず決められる。

自分に合うものを見つけるためには、まず自分を知らなければならない。どういう雰囲気のものを自分は良いと思うか、どういう趣向があるか…そんなしっかり分析したわけでもないけれど、自分が良しとするものが、何かしらあるはずだ。人にはそれぞれスタイルがある。何もかっこいいものというわけではない。かっちりしているのか、くだけた感じなのか。ファッションじゃなくても、身のこなし、使う言葉、価値観…。あらゆるものに、スタイルは現れる。でもそれを理解することは、意外と難しい。


牛乳の中にいる蝿、その白黒はよくわかる、
どんな人かは、着ているものでわかる、
天気が良いか悪いかもわかる、
林檎の木を見ればどんな林檎だかわかる、
樹脂を見れば木がわかる、
皆がみな同じであれば、よくわかる、
働き者か怠け者かもわかる、
何だってわかる、自分のこと以外なら。

(「軽口のバラード」より抜粋 フランソワ・ヴィヨン)



誰だって自分のことは分かった気になっている。でも、周りのことが分かるようになって、最後にやはり分からないのは自分。園子温監督の映画「ヒミズ」で主人公の少女が口ずさむこの詩は、何だって知ったかぶっている大人に疑問をつきつけてくる。(「ヒミズ」はZ級映画なので精神状態が安定しているときに見ることをおすすめします。。)

自分を見つめ直すにはどうすればいいだろう。直近では、就活で自己分析が大事だとよく言われた。でも、就活本にしたがってどれだけ自己分析をしたところで、自分のことなんか結局分かるわけない、と思う。過去の自分に無理に意味を見出して、それらをもとに自分を再構成しても、空虚なものができるだけだ。それよりも、今の自分の感覚を大事にするほうがよほどいい。自分は何をかっこいいと思うか、どんな風景の中にいると落ち着くか、周りの人のどんな仕草が目にとまるか…。自分を知るということは、自分探しみたいなそんな大層なことじゃない。真面目に自己分析なんかしていると、自分の嫌なところばかり浮き彫りになってきて、ますます嫌になる。そうではなくて、自分の今の何気ない感情や行動に目を向けたら、無意識レベルで自分はやりたいようにやっていて、自分が好まない方向には動かないことに気づく。それらは自分が志向するものだから、受け入れられるはず。自己を分析するのではなく、自己を受け入れていくことで、自分を理解することができる。そのためには、自分の感性を大事にすることが必要だと思う。何も、小説家のような豊かな感性じゃなくても、日常のふとした感情の揺れに気付くことは誰にだってできる。

まあ服を買うときにそんな難しいことは考えていない。でも、服を前よりも迷わずに自信をもって選べるようになったのは、自分を以前よりかは知れるようになったから、というのが少なからずあるように感じる。服を買うだけでなく、恋愛や就職においても、自分と合うかどうかが一番重要だと思う。合っていればそれだけ長続きするわけだから。

どれだけ過去を振り返っても、なりたい未来を想像しても、自分というものは見えてこない。でも、今の自分を受け入れていくことができれば、自分を理解し、自分にとっていい選択ができる。それをセンスって言うのかもしれない。

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