令和に思うこと

長い長いゴールデンウィークも終わり、世間はようやくまたもとの日常に戻ってきた。新元号「令和」も、(あれだけマスコミに話題にされたおかげで)かなり馴染んできたように思う。ついひと月前までその中にいた「平成」という言葉も、今までとは違う響きに聞こえてくるから不思議。「令和」ブームが収まってきて、それについていろいろと書くのは時期を逸した感があるが、今書かないともっと時期を逸する(というか何を考えていたか忘れる)ので、遅ればせながらちょっとした所感を書き連ねる。

平成から令和に変わるにあたって、テレビや新聞では「平成はどんな時代だったか?」という特集が毎日のように組まれた。――日本経済はバブルの絶頂期から始まり、その後は右肩下がりが続いた。経済が停滞した一方で、技術は止まることなく進歩し、人々の生活は豊かになった。個人の価値観は多様になり、持つ者は選択肢が広がり、持たざる者は選択肢が狭まった。震災をはじめとする災害も相次ぎ、痛ましい事件も起きた。――とまあ、概ねこんな感じの論調か。でも「平成とは?」と言われると、皆はっきりしたことが言えない。明治は開国、昭和は戦争、となるだろうが、平成を一言で表す言葉は見当たらない。それはそれで平和だったからいいのか…。

その混沌とした時代の中、平成天皇は、意味が定まっていない国民の象徴としての役割を果たそうと積極的に活動した。戦地や被災地を巡る姿は、新しい天皇の振る舞い、形として国民に受け入れられた。では、このような活動を行うことが象徴としての役割であり、代が替わっても続けられるべきなのだろうか…。これに対する見解も、はっきりしたものはあまり見受けられなかった。

平成という時代と国民の象徴としての役割、そのどちらも曖昧模糊としているが、皆それらに意味を求めすぎているような気がする。平成の30年間に価値観は多様化し、1つの物差しで時代を測ることはできなくなった。人々を統合するような出来事も起きなかった。一方、象徴は何かを端的に表すサインともいえるが、そんな抽象的なものに生身の人間がなれるのだろうか。憲法に天皇は国民の象徴であると明記されているが、権力をもたない存在を表す言葉として何とかひねり出したものなんじゃないか、という気がする。(歴史的な経緯は全く知らないので間違っているかもしれない。) その無理難題に対して、平成天皇はどうあるべきか模索し続けていたように見える。戦地や被災地への訪問は、先の戦争への昭和天皇から受け継いだ責任の意識と、国民を統合させる、国民に関心を持ってもらうといった考えによるものもあったかもしれない。でも、訪問の様子や語り掛ける言葉からは、不躾な言い方だが、自らが行きたいから行った、心配だから行った、そういう思いが感じられる。だからこそ、人々はその姿や言葉に心を打たれるのだろう。

これからますます先が見通せなくなり、人々を統合していたものがばらばらになってきて、意味を見失っていくであろう令和の時代。そういう時代だからこそ、自分の価値観をしっかり持って、自分の行動に自分で意味を見出すことが大事になると思う。すっごく難しいことだけど。

話が少し戻るが、「平成」は何とも言えない時代だったが、何もなかった時代ではない。平成でやってきたこと、やってこなかったことはきちんと令和に持ち越されている。平成×令和(0=) 0? そんなアホな。。笑 令和になったら全てがリセットされるなんてわけはない。平成に続く令和は、どんな時代になるだろう。

ここで、まだ平成だった4月25日の朝日新聞の川柳欄から一句。テーマは「終わりと始まり」。

  仕舞い風呂 湯抜きの渦に 映る明日  (木村俊博)

明日を映すのは掲げられた二文字の漢字ではない。どうしようもなく渦巻く日常に飲まれて、五月が過ぎていく。

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