「腐女子、うっかりゲイに告る」

「腐女子、うっかりゲイに告る」このインパクトのあるタイトルにつられて見てみたら、すごい良作だったという話。やっぱり、タイトルが面白かったりひっかかるものは、内容も裏切らないな。主人公であるゲイの男子高校生(純くん)に、彼と同じ高校生でBL好きの腐女子(三浦さん)が恋をすることから、話は始まっていく。現実の世界に悩むゲイと妄想の世界を愛する腐女子の近いようで遠い関係は、どのように展開していくのか。(異性愛者の)腐女子といっても、現実の恋愛対象は異性愛者の男性なわけで、ゲイとの恋愛は破綻するのが目に見えている。それをどう乗り越えていくか、2人の運命の結末はどうなるのか…。いや、そんな単純な話ではないな。作中で語られるように、「人は、世界を簡単にしてわかったつもりになるものなんだ。」

同性愛者は今でこそ、タレントをはじめとして世の中の表舞台に出てくるようになり、理解も進んできた。でも、異性愛者は、そのひょうきんな姿の裏にある苦悩をどれだけ分かっているだろう。まして、多感な学生の時期では、社会に対して、そして自分に対して悩み辛い思いをしてきただろう。作中の主人公の、社会や自分に対する嫌悪、苦悩、あきらめの気持ちはリアルすぎるほどリアルだ。そういう当然抱くであろう感情は、世間的にあまり注目されてこなかったものだし、自分は彼らがそういう思いをしていることを、まず想像したことがなかった。僕は、彼らにとって、BLは彼らを空想の世界のもののようにしていて、あまり良くは思っていないのではないかと考えていた。でも、作中の主人公はBLの主人公の、ゲイであることを肯定的にとらえている姿を素直に羨ましく思っていた。(作者は似たようにBL本に救われたと言っていた。) もちろん、LGBTの人それぞれによって感じ方は違うだろう。問題は、ここでLBGTの人はこう感じるだろうと、意識せず決めつけてしまっていること。作者は昨今のLGBTの権利拡大を目指す運動の様子に違和感を感じたとも言っており、まだまだ当人とそうではない人との認識の隔たりは大きいのかな、と思う。世界はそんな簡単じゃない。

だから、LGBTについてそうじゃない人が語るのは難しいし、そもそも無理がある。その中でこのドラマは、LGBTの人はこんなに苦しんでいるんだ!と声高に主張するのではなく、たまたまゲイに生まれ、BLが好きになった、世間的には普通ではない人が普通に生きる姿を丁寧に描いている。三浦さんと純くんの何気ない会話から、好きになるってそういうことなんやな、と思うし、息子(あるいは彼氏)がゲイであることを母(と彼女)が知って、もっと知りたいとしっかり向き合おうとする姿も、そういうことが大事なんだと思う。特殊な設定だからこそ、リアルな感情が息づいていて、胸に刺さる台詞も多い。

いろいろと思うところはあるが、その中で印象に残った1つのシーンが、純君と年上の彼氏(マコトさん)が別れ話をする場面。マコトさんはゲイでありながら、家族が欲しいという思いがあり、女性と結婚して子供を作った。純君はそんな彼に「自分と奥さんが同時におぼれていたらどちらを助ける?」と尋ねた。それに対するマコトさんの答えは、妻を助けるというものだった。家族を持てないと思っていた自分に希望をくれた、長年付き添ってきた妻を大事に思う気持ちは恋愛感情ではなくても、何よりも勝るものだった。そして、その答えに涙しながらも安堵する純くんも、同様に三浦さんを大事に思っている。恋人でも親友でもない、安易にラベリングできない存在は、世界を簡単にしない。でも、確かに誰かの世界を救っている。

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